クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス

この間テレビ放映があったので、初めて見たんですよ。
劇しんを見るのはヤキニクロード以来、すごい久しぶりだったので結構ワクワクしていたのですが。

自分のスタンスを早めに提示したほうがいいかと思って書いておきますが、
最低のクソ映画でした。
これまで見てきたクレヨンしんちゃんの中で一番つまらない話でした。

黙って見てしまった2時間がもったいないのでここに感想を吐き捨てることにします。
多分同じ感想を持った人でないと読んでも不快なだけだと思うので、
私と同じく、この映画見て損したって感想を分かち合いたい人以外は読まないほうがいいです。

さて、この映画の問題点はおおまかに2つあって、
・ゲストキャラの宇宙人が全員不愉快
・野原一家が実質何もできていない

という点にあります。

見ていて「は!?何言ってんだお前」って感想を抱いたまま
それが解消されず物語が終わってしまう感じ。
ガンダムAGEのイゼルカント様を思い出すといいかも。

では一点目の
・ゲストキャラの宇宙人が全員不愉快
という話。

これは話の冒頭から最後まで、終始一貫して抱える問題点なのですが、
とにかくこいつらが人の話を聞かない。
そしてまともな倫理観を持ち合わせていない。
相手の理解を求めない。
自分たち主導で、相手に説明をしないまま自分ルールを通し続ける。

そういう意味では、これまでの劇しんに登場してきた侵略宇宙人と同じスタンスなのですが。

登場して早々、人の家にあがりこんで(これはしんのすけが誘導したのもありますが)、
親を放置して赤子を囲んで大喜び、幼児相手にサインを求めて
そのサインを契約書として、親への説明もなしに宇宙まで拉致します。

もうこの時点でかなり心折れた。
すごい不快。

その後も野原家は自分たちの訴えを一切聞かない宇宙人を相手に、
ひまわりを取り上げられ、コテージに隔離され、自分の子供と会うこともできない。
そして不満を訴え続けていたら地球に追い返されます。

見た人ならわかると思いますが、その後のひろしとみさえの悲壮さは筆舌に尽くしがたい。
録画消しちゃったのでキャプはとっていないのですが、
とれたとしてもここに載せるのもはばかられるくらい。

赤子を奪われたのですからこれは当然のリアクションです。
そしてその有様を見てしんのすけが、自分がしでかしたこと
 →軽い気持ちでひまわりを預けるなんてサインをしてしまったことに自覚を持ちます。

そのしんのすけの反応がしっかりと物語っているのですが、
この展開どう考えてもギャグじゃないんですよ。
手も足も出せない、得体の知れない相手に赤子を奪われて文句も言えない状況なんですよ。
視聴者は基本野原家の目線で映画を見ていますから、基本的にはひろし・みさえと同じ感想を持ちます。

敵意を見せていない分、自分たちがどれだけひどいことをしているか自覚していない分、
これまでの敵よりも厄介で不愉快な宇宙人連中。
ひまわりを返せ!と文句を言う野原家に対して、「ちょっとちょっと、何言ってんの」くらいのリアクションしかしません。

こんなふざけた連中、きっとここから野原一家ファイヤー!と反撃かましてくれるんだろうと期待しますよね。
それで家族の情とか、自分たちのしたことへの後悔とか、そういうことに気付いてくれると。

そんな展開は一切ありませんでした。

ここからは
・野原一家が実質何もできていない
という部分にかかるのですが、
このあとの反撃。

野原一家は敵の星に乗り込んで数々の妨害を乗り越え、ひまわりのいるところにたどり着きます。
しかしここでまず一個目の不穏な気配。

宇宙人連中、今更しんのすけがひまわりを追い出したことを責め始めます。

「君がサインして、ひまわり姫を追い出したんじゃないの」
「今更何しに来たの」
と。

違うだろ。
お前らしんのすけがどういうスタンスであれ、ひまわり拉致しただろ。

しんのすけの落ち度を、そこに一切関係のない宇宙人連中が突っついてしんのすけを責めます。
ここがこの映画の不愉快なところのピーク値です。
自分たちの都合で拉致したくせに、その責任をしんのすけに転嫁するのです。いい大人たちが。

じゃあ何か。
この惑星では5歳児が「妹なんていらない」って言ったら拉致していいのか。

しかもしんのすけがそれでも妹を助ける、と兄らしい自覚を持って宣言すると、
大体の連中はそこで引くのです。
意味わからん。

宇宙人たちはこれまで明確な大義を持ってひまわりを拉致しました。
それは野原家、ひいては視聴者の納得を得られるやり方ではなかったのですが、
宇宙のバランスを保つためにやっていたことです。

それが今度は、しんのすけが改心した途端引くようになります。
お前ら宇宙はいいの?

ここらで宇宙人の視点を見返しておきましょう。

宇宙人はひまわりが欲しい。
その理由は「宇宙のヒマのバランスを保ち、地球とひまわり星を守るため」です。
そこでひまわりを自分の星に迎えたい、かつしんのすけがそれに応じてしまったため、
平和的にすべての問題が解決してハッピー、というのがこれまでの彼らの視点です。

まぁその過程で、親ではなくしんのすけに契約書のサインをさせたり、
有無を言わさず宇宙に連れ出して抵抗の意思を削いだりと、無自覚にえげつないことをしてるクズ宇宙人ですが。

つまりは「しんのすけが要らないといったから」ひまわりを拉致したのではなく、
「自分たちが欲しいから」ひまわりを拉致したのであって、
しんのすけがOKのサインを書いたのは副次的な要因なのです。

もちろんしんのすけの安易な行動は個人として反省して自戒すべき部分ですが、
そこはあくまでしんのすけ自身の問題、あるいは野原家の問題です。

つまり、ここに宇宙人が口出しをしてくること自体が論外なのです。
だって関係ないんだもんあいつら。

それを「しんのすけが要らないって言ったから連れてきた」ように言葉を切り替えてしんのすけを責める。
5歳児相手に。
ここまでのクズ、アニメでも早々見られませんよ!

加えて、しんのすけの改心によって身を引くことは、
この宇宙人たちにとっては「自分の目的を放り出したこと」を意味します。
2つの星が滅ぶかもとまで言っておきながら、何をしてるんでしょうこいつらは。

彼らが最初から「しんのすけを改心させること」を目的として動いているなら話はわかるのですが。

「物語上の役割」=「星のバランスを保つこと」がすでにある状態で、
その上にテーマ上の都合から「しんのすけを改心させること」という役割を担ってしまったせいで、
宇宙人の中での「物語上の役割」が死ぬほど意義を持たないものになってしまいました。

「しんのすけが要らないといったから」ひまわりを拉致してきたのであれば、
ここで挙げた問題点は全部解決できたんですけどね。

さて、
・野原一家が実質何もできていない
という部分に戻ります。

前述のとおり、私は野原家と完全に視点のすれ違った宇宙人に対して、
野原家が家族の情愛を見せて彼らにすれ違いを気付かせ、ひまわりを返して完、あたりかと思っていたのですが。

とりあえず荷物の搬送用ゲートを通ってひまわり星に戻ってきた野原家。
ひまわりを取り返すために突貫してひまわりのいる場所まで辿り着くのですが、
そこでも野原家は特に何かできたわけではありませんでした。

すごい大雑把に説明すると
・しんのすけがひまわりを助けに来たことで抱えていた問題が解決
・じゃあもういいから野原家の皆さんは帰っていいよ
という流れでひまわりは開放され、野原家は地球に帰ることになります。

なんだそれは!

つまり野原家が頑張ったことそのものは一切宇宙人たちには届かず、
それとは別に問題が勝手に解決し、宇宙人の都合で不要になったからひまわりは返されるのです。

見ている人も多いでしょう、「オトナ帝国」では、
しんのすけの未来を望む純情がイエスタデイ・ワンスモアを改心させて世界が元通りになりますよね。
己の間違いを認め、身を引きます。
物語として、あれが当たり前ですよね。

悪党は「完全にやられる」か「改心」しないと問題の解決とはなりません。
同じ問題が再発したとき、同じ手段を取りうるからです。
しんのすけの想いがイエスタデイ・ワンスモアに届かなかった場合、
再び彼らが20世紀の暖かさを願ったとき、再び侵略が再開される可能性があります。

今回の劇場版はまさに、敵が改心しないまま終わった話と言えます。

野原家が身勝手で人の言うことを聞かない宇宙人を倒すか、
あるいは野原家に親子、兄妹の情愛の深さを見せつけられて、
宇宙人たちは勝手なことをしたと反省しなければなりませんでした。

事情があるとはいえ、赤子を拉致したことってのはそれくらいの罪に当たることです。

反省をした上で、野原家と宇宙人が協力して問題を解決、
握手でもして和解したとして、その上で野原家を地球に返すのがあるべき展開でしょう。

地球も巻き込む問題である以上、野原家は巻き込まれる形でなく、
自発的に協力する姿勢を見せて問題に向きあわねばバランスが取れません。

しかし宇宙人たちは終始自分たちのペース、都合に合わせて動き、
野原家を好き放題翻弄したあげく勝手に話を終わらせてしまいました。
視聴者としては、こいつらを殴りたいと振り上げた拳の納めどころがわからない状況です。

宇宙人たちはついぞ、自分たちの暴力について自覚も反省もしないままでした。
この辺もガンダムAGEに似てる。

というわけで、2時間通して話の軸がブレ放題の劇場版でした。
設定の一部をちょこっと変えるだけで話の筋は通せたと思うんですが、そんな余裕もなかったんでしょうか。

せめて宇宙人たちは「悪党」として劇中で認知されて倒す、あるいは改心させるか、
最初から宇宙人たちを「善人」として描いて、ひまわりはじめ野原家が協力して宇宙の困難に立ち向かう話であれば…。

製作者と視聴者で、宇宙人たちの捉え方がズレているんでしょうか。
もしかして彼らを悪ではない存在のつもりで作ったのかなあ。

まぁ、なんというかその
二度と見ないと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。